教えのことがよくわかって、ナットクしてから信仰したい。

 「ごもっとも」と言いたいところですが、その考え方でいくと、たとえばある大学のある学部に興味を持った場合、そこの入学試験を受ける前に、その学部で教えている内容を一通り知って、納得したら試験を受けるというのと同じではないでしょうか。入る前にわかるくらいなら、入学する必要はないと思われます。
 もしかすると、あなたは、そんな厳密なことを言おうとしているのではない、アウトラインを知りたいだけだということかもしれませんが、そのアウトラインが初級研修の三日間なのです。
 「三日間なんて……一日や二日ではだめなのかしら」と思う人もいるかもしれませんが、たとえば、映画でも前編と中編と後編があれば、前編だけ見ても、あるいは中編と後編だけ見ても全般がわからないように、三日間なら三日間というものを聞かないとわからないのです。
 特に、説かれているお話は、今まで聞いたこともない、おそらくかつての聖者聖雄も説かれなかった前人未踏(ぜんじんみとう)の教えですから、すぐには理解できないと思います。納得するのに時間がかかるでしょう。皆さんの人生観、社会観を180度転回して聞いていただかないといけないと思います。
 しかも、崇教真光の教えは、理論理屈より実践が主体です。「手かざし」という人救いの業の実践によって教えの本質をより明確に把握(はあく)できます。
 真光の手かざしによって、病気が良くなり経済的な救いが得られ争いもなく災厄に見舞われない生活へと切り換わります。その驚くべき奇跡を通して、神の御実在と神の大愛を身をもって実感できるのです。
 「理論理屈よりもまず体験を」と申し上げたいと思います。真光の手かざしは、神様を信じていない人でも誰でも受けることができるのです。

   戻る


Copyright©1959 - 2010 Sukyo Mahikari , All Right Reserved.